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研究レポート

「男鹿ナマハゲロックフェスティバル」 (音楽イベント)

新たな祭、ロックフェスを創る 〜過疎地の障壁を突破し、1万人以上を集客〜 Vol.03

2016.11.21 facebook
編著:にぎわい空間研究所編集委員会
写真提供協力:男鹿ナマハゲロックフェスティバル実行委員会

ゼロから生まれた奇跡の夏フェス〜優れたコンテンツ力と地域との共創による市場創造〜
 
地元芸能・なまはげ太鼓の4団体が
連合チームを結成し、フェスに出演
 男鹿ナマハゲロックフェスティバルでは、「ナマハゲ」がタイトルに付いたイベントだ。屋内会場で行っていた時代からステージでは、なまはげ太鼓のパフォーマンスが行われてきた。屋外会場になってからもステージでのパフォーマンスは続けられている。ナマハゲの存在感、力強い太鼓の音、そして空気を切り裂く笛の響き。公演の前半で行われるパフォーマンスは、会場の空気を一気に男鹿フェス独特のものへと染上げるのである。
 現在、出演しているOxNxDxA(男鹿ナマハゲ太鼓推進協議会)は男鹿市内で活動するなまはげ太鼓の4団体の連合チームである。平成24(2012)年の男鹿フェスVol.3まで出演していたチームが2団体へと分かれたのを機に菅原氏が4団体連合チームでの出演を提案。フリーランスの奏者として活動する岩澤将志氏の呼びかけによって連合チームが実現したのだ。
「互いに負けられないという気持ちもあるから、最初はすごい緊張感でした。でも、男鹿フェスのステージには立ちたいという想いはひとつ。新たに曲を作って、練習を重ねながらOxNxDxAにしかない音楽を生んでいきました」(岩澤氏)
ゼロから生まれた奇跡の夏フェス〜優れたコンテンツ力と地域との共創による市場創造〜
男鹿フェスVol.7でのOxNxDxAのステージ。圧巻のパフォーマンスに観客からも大きな歓声が上がる。 写真右下はOxNxDxAの呼びかけ人である岩澤将志氏。
アーティストたちとのコラボも実現
男鹿フェスは伝統を継承する機会でもある
  OxNxDxA は男鹿フェスへの出演を重ねるごとに、アーティストとの競演の機会にも恵まれるようになり、平成 28 ( 2016 )年開催の Vol.7 でも、 Dragon Ash のダンサー、 ATSUSHI と会場内でコラボレーションのパフォーマンスを披露した。
 男鹿フェスへの参加によって岩澤氏自身の活動も広がってきた。男鹿フェスの常連バンドである TOTALFAT が『夏のトカゲ』という楽曲で和太鼓を導入した際にはレコーディングに参加。さらには TOTALFAT が同曲を演奏する「ロック・イン・ジャパン・フェスティバル」のステージにも参加したのだ。
「なまはげ太鼓は伝統を継承するために 20 年ほど前に生まれたスタイル。新しい表現を求めて活動している各団体にとって男鹿フェスは貴重な発表な場になっています。今、なまはげ太鼓の団体も若手が減っているのが現実。 OxNxDxA という連合チームがあることも、なまはげ太鼓という伝統芸能を継承していくうえで重要な役割を果たしています」(岩澤氏)
ゼロから生まれた奇跡の夏フェス〜優れたコンテンツ力と地域との共創による市場創造〜
OxNxDxAとDragon Ashのダンサー、ATSUSHIのコラボレーション。
新たに誕生した「山の上音楽祭」
多様なイベントが男鹿への認識を変える
 平成28(2016)年9月19日、岩澤氏は仲間とともに音楽イベント「山の上音楽祭」を開催した。会場は市内にそびえる寒風山の展望台前の広場だ。様々なジャンルの演奏者によるパフォーマンスを繰り広げるとともに、家族向けに流しそうめんなどの趣向も凝らした。
「男鹿フェスは全国規模のイベントに成長しました。一方で、山の上音楽祭は始まったばかりだし、コンセプトも違います。でも、タイプの異なるイベントが生まれることで、『男鹿って面白いことが行われている』と認知されるようになると嬉しいですね」(岩澤氏)
 山の上音楽祭は、来場者200人ほどの小さなイベントだったが、秋田県議会議員の視察、新聞社の取材、男鹿市からの支援打診があるなど、地元の注目度は高かった。岩澤氏は20歳代後半の若い世代。男鹿フェスを通じて地域を盛り上げようという気運が若い世代にも伝わっている好例とも言えるだろう。
ゼロから生まれた奇跡の夏フェス〜優れたコンテンツ力と地域との共創による市場創造〜
平成28(2016)年9月に初開催された「山の上音楽祭」。音楽による地域おこしの新たな試みが始まった。
(写真提供:岩澤将志氏)
知名度を上げる男鹿フェス
増加する初参加のオーディエンスたち
ゼロから生まれた奇跡の夏フェス〜優れたコンテンツ力と地域との共創による市場創造〜
 
 平成28年(2016)年に開催された男鹿フェスVol.7では、念願のソールドアウト(2日目)、そして、1万人の大台を大きく突破する1万2,000人の集客に成功した。2日間開催となった男鹿フェスVol.5、Vol.6がともに9,500人だったことを考えると、1万2,000人への飛躍ぶりは大きい。
 飛躍の要因の第一は菅原氏が強調するようにアーティストのラインナップと言えるだろう。だが、その他にも集客の大幅増の要因はあるように思われる。その一つがブランド力のアップだ。
 男鹿フェスVol.6実行委員会の事務局ではアンケートを実施しているが、「男鹿フェスに来たのは何回目ですか?」という質問項目がある。平成27年(2015)年開催の男鹿フェスVol.6で「初めて」と答えたのが39.1%だったのに対して、翌年の男鹿フェスVol.7では42.7%に上昇した。つまり、男鹿フェスの知名度、ブランド力がアップしたことによって、初めて訪れる来場者が確実に増えたのである。
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来場者の分布を見ると初参加の比率が増えている。
2日間開催によって出演者のラインナップに多様性が出たことも新たなファンを取り込む要因になっている。
出典: 実行委員会のアンケート(平成27(2015)年開催の男鹿フェスVol.6および平成28(2016)年開催の男鹿フェスVol.7)より作成
フェスでの体験を持ち帰る
公式グッズ売場に長蛇の列
 男鹿フェスVol.7の初日の朝、ゲートが開くと来場者たちは一目散に走り出していた。目的はふたつある。ひとつはテントやシートの場所を確保すること。もうひとつはTシャツやタオル、キャップなどの公式グッズを購入することだ。開場からすぐに長蛇の列ができ、初日はほとんどその列が途切れることはない。
 そして、2日目の昼前には主立った公式グッズが売り切れてしまうのである。この規模の音楽フェスで、公式グッズの売り場にこれほど来場者が殺到するのは珍しい現象だ。
 アーティストのグッズ売り場の比ではないほどの長蛇の列が公式グッズに並んでいるのは、男鹿フェスのブランド力が高まっていることに他ならないのである。来場者は男鹿フェスに来たことを誇りに思い、そしてその体験を見えるかたちで持ち帰るために公式グッズの列に並ぶのである。
ゼロから生まれた奇跡の夏フェス〜優れたコンテンツ力と地域との共創による市場創造〜
開場とともに公式グッズ売り場に走る来場者たち。
主な商品が売り切れるまで長蛇の列は途切れることはなかった。
TwitterやFacebook などSNSを活用
ファン、アーティストが情報を発信
 平成28(2016)年7月30日、31日に開催された男鹿フェスVol.7と同じ日程で、宮城県石巻市では「Reborn-Art Festival × ap bank fes 2016」が開催された。ap bank fesは環境問題の改善や震災復興などを目的とする社会性の高いイベントで、日本を代表するフェスに成長したが2012年を最後に休止。その復活となるイベントが宮城県石巻市で開催されたのである。
 全国的にも知名度の高いフェスが男鹿フェスの商圏である宮城県で開催されたにも関わらず、男鹿フェスは動員数を落とすどころか大きく伸ばした。その動向からも、男鹿フェスのブランド力の高まりが理解できる。
 こういったムーブメントとしての男鹿フェスを盛り上げるために、菅原氏が重要視しているのはSNSである。TwitterやFacebookを活用しながら、適切なタイミングで、情報を発信する。男鹿フェスの場合、できるだけ発信者の個人的な色は出さずに淡々と正確な情報を出すことを心がけているという。
 一方で、アーティストたちも出演の前後で男鹿フェスについてSNSで情報発信をする。その情報も出来るだけ拾いながら、Retweetやシェアをして情報を拡散する。アーティストの思いのこもった情報発信が男鹿フェスのブランドアップに大きく貢献しているのだ。
ゼロから生まれた奇跡の夏フェス〜優れたコンテンツ力と地域との共創による市場創造〜
HEY-SMITHのインスタグラムの写真。
アーティスト自身がSNSで情報発信をしてくれることで、男鹿フェスの存在が数多くの人々に伝わっている。
FMX、壁画アート、秋田県出身者枠など
フェスとしての差別化を図る
 男鹿フェスでは、なまはげ太鼓だけでなく、独自のコンテンツを盛り込む工夫を凝らしている。そのひとつがFMX(フリースタイル・モトクロス)だ。FMXはモトクロスバイクが巨大なジャンプ台を利用して、空高く舞いながらアクロバティックな技を披露するパフォーマンスだ。「ロックフェスで飛びたい!」という秋田県出身のライダー、加賀真一氏と意気投合して生まれた企画である。
 このほかにも、山嵐のジャケットなどを描く壁画アーティスト集団のshizentomotelやイラストレーターのkemmy氏によるライブペインティング、協賛企業である(株)ムラサキスポーツによるスケボーのエリアも設けられ、アメリカのストリートカルチャーの雰囲気を醸し出している。これらは、「音楽フェスが乱立するなかで、いかに差別化を図るかの方策」であると菅原氏は説明する。
ゼロから生まれた奇跡の夏フェス〜優れたコンテンツ力と地域との共創による市場創造〜
FMX、ライブペインティング、スケードボードなどが音楽以外のエンターテイメントも 男鹿フェスの個性として定着しつつある。
 また、男鹿フェスではオープニングアクトが設けられており、平成28(2016)年のVol.7では、Watanabeach!、プピリットパロ、中川正太朗が出演したが、これらのアーティストはみな秋田県出身。男鹿フェスでは、秋田のフェスとして、地元アーティストを応援する企画としてオープニングアクトを位置づけているのだ。「通称、『親孝行企画』です。秋田を離れて音楽で必死にやっている若者たちが、自分たちの成果を親に見せる機会です」(菅原氏)。今後もオープニングアクトについては、秋田県出身者にこだわっていきたいという。
 会場の後方では「Band in the Box」という企画も行われた。コンテナに楽器のセットを置き、ステージの転換中であれば自由に演奏してよいというものだ。地元の音楽好きや若いバンドが演奏を行っており、会場の賑わいを演出していた。
ゼロから生まれた奇跡の夏フェス〜優れたコンテンツ力と地域との共創による市場創造〜
メインステージの転換中に自由に演奏ができるBand in the Box。
ライブハウス関係者の協力で円滑な運営を実現した。
秋田のロック市場を活性化する男鹿フェス
出演アーティストのソロライブにも変化
 そして、2日間開催になった男鹿フェスVol.5から行われているのが「前夜祭 ONRF ADDICTS」である。平成28(2016)年の男鹿フェスVol.7では本番前日の7月29日(金)に秋田市内のライブハウスで開催され、6バンドが出演した。
 男鹿フェスに深く関わる山嵐がトップバッターを務めたが、彼ら以外のバンドは秋田ではまだ知名度がそれほど高くないバンドである。男鹿フェスというメディアを有効活用して、秋田のライブシーンの活性化を目指すとともに、男鹿フェスへの出演も視野に入れながら積極的に活動を展開するバンドに秋田のリスナーと出会う場所を提供しているのだ。
 実際、男鹿フェスは男鹿市内にとどまらず、秋田県や近隣県でのロック市場を創出している。それを証明する事例として、例えば、ここ数年連続して男鹿フェスに出演するあるアーティストは秋田市内のライブハウス公演でチケットが完売した。男鹿フェス出演以前にツアーで秋田を訪れた時は集客に苦労したというので、男鹿フェス効果は明らかだ。やはり男鹿フェスに出演する別のアーティストも仙台よりも秋田のほうがチケットの売れ行きがよかったという。
 秋田県出身者によるオープニングアクト、そして前夜祭も継続することで、男鹿フェスの特徴となり、さらには秋田県内のライブ市場全体の活性化につながっていくことだろう。
ゼロから生まれた奇跡の夏フェス〜優れたコンテンツ力と地域との共創による市場創造〜ゼロから生まれた奇跡の夏フェス〜優れたコンテンツ力と地域との共創による市場創造〜
前夜祭「ONRF ADDICTS」の様子。
前夜祭というイベントの誕生で秋田の人々に生の音楽を届ける新たな機会が生まれた。
点から線、面へと広がる男鹿フェス
Vo.10以降の課題は企画者の世代交替
 男鹿フェスは毎年、8月末の打ち上げで実行委員会が解散する。10月頃になると菅原氏をはじめ主要メンバーが集まり、翌年の開催を検討する。水面下で出演者への交渉を始め、年明けに開催を決定、ふたたび実行委員会を招集する。そして、4月の公式発表、チケット販売と続き、本番への準備が加速していく。
ゼロから生まれた奇跡の夏フェス〜優れたコンテンツ力と地域との共創による市場創造〜
男鹿フェスの会場である船川港埠頭を訪れる菅原氏と吉田氏。
 実行委員長の菅原氏は「1回開催するのは『点』でしかない。でも、それを毎年開催することで『線』になりました。そして、東北の他のイベントとのつながりも生まれつつあるので、『面』へと発展しています。これから、2日間開催でソールドアウトが普通になれば、きっと次の展開が見えてくると思います」と今後の展開について語る。
ただ、菅原氏は未来永劫にわたり男鹿フェスを続けていけるとは考えていない。
 
「とりあえず、Vol.10までは続けたいですね。このまま2日間開催で動員ができれば累積の赤字も解消できる見込みです。収支は基本的にトントンでよいと思うし、すべての赤字が解消できたらフェスの質を上げることに投資したい。ただ、Vol.10から先は未定です。出来れば世代交替をしていきたい。若い世代が中心になって、方向性が変わるのであればそれでいい。その時は全力でバックアップします」
ゼロから生まれた奇跡の夏フェス〜優れたコンテンツ力と地域との共創による市場創造〜
地元のために何か行動しなければという思いが、年に2日間、ここをロックの聖地に変える。
コンテンツを磨き続け、共創を生み出せば
不毛の地でも新たな市場は創造できる
 秋田県男鹿市という過疎に悩む街で、若手経営者たちが立ち上げた「男鹿ナマハゲロックフェスティバル」。その原動力は、地域を盛り上げるために何かしなければという切実な想いだった。
 資金は決して潤沢と言えず、赤字を累積しながらも、自分たちで作り上げることで成果と失敗を実感し、ついに黒字化を達成した。さらには、全国でも注目される音楽イベントに成長させてしまったのだ。
 その成長の大きな要因は、イベントの核となるアーティストたちが出演したいと思える環境を整え、アーティストたちの口コミによってフェスの価値を高めていったことにある。「地方の手づくりイベントだから」と言い訳をせずにプロが満足するステージ、音響、照明を整え続けるとともに、出来る限りのホスピタリティでアーティストたちをもてなし続けたのだ。
 そして、男鹿半島という立地の悪条件を跳ね返すために、できるだけ、利便性の高いフェスを作り上げることで、地元の人々がフェスに行かない要因を一つひとつ潰していった。フェスの運営には地元の実行委員会とボランティアが中心になることで、来場者が満足する雰囲気を生み出していったことも大きな要因だ。
 これまで音楽フェスの文化がなかった男鹿、そして秋田に、全国に通じるイベントを成立させた男鹿ナマハゲロックフェスティバル。良質なライブエンターテイメントを届け続け、地域の人々やファンとの共創ができれば、広域からの集客を可能にするだけでなく、ロック不毛の地域において新たな市場を創造できることを証明したのである。菅原氏はインタビューの終わりにこんなことを言っていた。
「なまはげの行事もVol.1があったはず(笑)。それを続けてきたから今があります。伝統的な祭は誰も疑いもなく時期になれば準備を始めるものです。例え俺たちがいなくなっても、夏が近づいて来たら『男鹿フェスの準備をしようか』と地元の人々が動き始めるようになってくれたら、最高ですね」(了)
ゼロから生まれた奇跡の夏フェス〜優れたコンテンツ力と地域との共創による市場創造〜ゼロから生まれた奇跡の夏フェス〜優れたコンテンツ力と地域との共創による市場創造〜
 
<Data>
名称:OGA NAMAHAGE ROCK FESTIVAL Vol.7(男鹿ナマハゲロックフェスティバル)
開催日:平成28(2016)年7月30日、31日
開催地:秋田県男鹿市船川港内特設ステージ
種別:音楽イベント
主催:OGA NAMAHAGE ROCK FESTIVAL実行委員会
後援:秋田県、男鹿市、秋田魁新報社、AKT秋田テレビ、AAB秋田朝日放送、エフエム秋田、スペースシャワーTV
協力:男鹿市商工会、男鹿青年経営者協議会、男鹿市観光協会、男鹿なび、ノースロードミュージック
チケット:1日券 前売7,000円・当日7,500円/2日間通し券 前売のみ1万3,000円/18歳以下チケット(男鹿市内での発売のみ)1日券 前売4,500円/2日間通し券9,000円
動員数:約1万2,000人(2日間合計延べ人数)

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